マッチ売りの少女その2

(その1より続き)
童話内での営業方法の反省を踏まえて、箱売り(当時は1本ずつの販売が主流だった。)、訪問販売、タイアップ商法(近藤真彦のレコードに便乗したのが始まりとされる)などの手法が産み出されたことはよく知られている。
ライター陣営との壮絶な販売合戦が繰り広げられたのもこの頃であり、ライターのその手軽の前にマッチは一時、場末のスナックでしか見ることのできないほどに追い詰められた。
しかしその後、アメリカを始めとした各国とのマッチの最低輸入数量を定めた「京王プラザ合意」が取り交された結果、国策としてマッチの販売が促進され、「マッチ景気」とまで呼ばれる未曾有の好景気となった。そして、ライターを製造していた会社は軒並マッチ会社に吸収されることとなったのである。
(続くんじゃないかなぁ)