花
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で 一番になりたがる? そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 作詞・槇原敬之
SMAP*1の「世界に一つだけの花」である。発売以降ロングセラーを続け、250万枚の大セールスとなったことは記憶に新しいところだろう。
しかし、私にはこの歌詞に少し引っ掛かるところがある。なんというか、あまりにも人間本位過ぎるのではないかと思うのだ。ここには、花側の視点というものが抜け落ちているきらいがあるのである。
よって、ここでは花側の視点に立って上記の歌詞を編修してみたいと思う。もちろん、私は人間なので、この作業は、付近に咲いていた菊におまかせした。今の時期、ほとんど枯れかけていて聞き取るのに一苦労だったが、以下の様な歌詞になったので、ご覧いただきたい。
最寄のバス停に並んだ いろんな奴を見ていた*2 花それぞれ好みはあるけど やつら*3はみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで 会社の中誇らしげに しゃんと茎を立てている それなのに僕ら植物は どうしてこうも比べたがる? 一花一株違うのにその中で 一番になりたがる? そうさ 僕らは 世界に一つだけの人 一花一株違う種を持つ その才を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 作詞・菊
なんたることか。花を見習わんとする人間側の詞に対して、人間を見習わんとする花側の詞という。いわば堂々巡りの状態になってしまった。これでは我々が人間なのか花なのかなどほとんど区別が付かないではないか。我々人間と花たちのアイデンティティ・クライシス*4の危機である。
本日の教訓
無茶はするな